本来、大石寺は一致団結して正法を伝承する地でなくてはなりませんが、実際には幾度となく派閥闘争が繰り返されてきました。
古くは日目上人の遷化後、大石寺は日道派と日郷派の2つに分裂し、70年以上も勢力争いが続きました。
近年では、日顕の実父・阿部法運が中心となって日柱法主の不信任を決議。
当時の地元紙にも「地で血を洗ふ醜争」「他宗の物笑ひ」などと報道されています。
日柱法主はやむなく辞表を提出し、腐敗選挙で阿部が法主に当選しています。
唯授一人血脈付法など、名目に過ぎなかったというのが、大石寺の現実だったのです。