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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

池田先生「未来は青年が担うしかない」

池田会長講演集第一巻より

我々は年を取ってくる。

創造性にも限りがある。

人間の力にも限りがある。

あとは若々しい理事長とか本部長とか、部長、部隊長、隊長とか、そういう人たちに大きい期待をかけております。

かける以外に道はない。






広布と人生を語る6より



年配になると、自分の保身のため、利害のため、身も心も濁りやすいものだ。

それは天然の理でもある。

ゆえに若き諸君が、次の世代を受け継いでいかなければならないのである。



往々にして中年になっていくと、世事に流され、社会的名誉に流され、しだいに信心が濁っていく場合があるようだ。





人間と仏法を語る①より



長年信心をしているからとか、幹部であったからとか、後輩を見下ろすというような、自らの信心の濁りは、人々をも濁らしていくから、まことに危険な存在といわなくてはならない。

そうなってはいけないし、またそのようなひとのために信心を濁らせてもならない。


人間、年齢を重ねると、悪い意味での「世間ずれ」というか、青春時代の清らかな純粋さを失っていきがちである。

信心の世界においても同様である。






蓮祖の在家における一番弟子であった富木常忍でさえ、晩年には興師から離反し、自ら出家して中山門流を興しています。

ベテラン・功労者が、徐々に自分中心になり、純粋な信心を失っていくのは、ある意味でやむを得ない面があります。

ゆえに、三代会長を純粋に求める君たち青年が、新たな広布のリーダーにならなければならないのです。

世代を超えて仲良く前進していくのは当然です。が、「なれ合い」になってはいけません。

信心は仏道修行であり、魔との闘争なのです。

間違っても、先輩幹部が師匠ではありません。それは、師の偉大さを知らないだけです。

海を見たことが無ければ、湖が世界一大きいと誤解してしまうでしょう。そのようなものです。

本来、執行部にはどんどん青年部から登用していかねばなりません。

「リーダーが若すぎると、ベテランはついていけない」

という声もありますが、自分の世代中心の信心などありません。

青年リーダーについていけない功労者には、残念ですがご退場いただく他ありません。

また、それによって組織の世代交代が進むのです。

創価学会は老人会ではなく、永遠に青年学会なのです。それが不老不死の意味です。

絶対的幸福とは、青年の成長を喜ぶことであり、それ以外はすべて幻なのです。



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