新・人間革命「愛郷」より
同じ御本尊に題目を唱え、同じように学会活動に励んでいたとしても、愚痴と文句の一念なのか、感謝の一念なのかによって、結果は全く違ってしまう。
「祈れば叶う」という確信がないから、愚痴が出ます。
つまり、愚痴は、あなたの生命が不信に蝕まれているというシグナルなのです。
「信を以て源とする」信心ですから、不信のまま形式のお題目を何百万遍唱えても、功徳があるはずはありません。
特に注意が必要なのは、会合に出てきてくれない部員さんに対する愚痴です。
みんながカンタンに活動してくれるなら、修行になりません。
その部員さんのおかげで、あなたは過去世の罪業を消し、福運を積めるのですから、本来ならばどんなに感謝しても足りないはずです。活動しない会員も必要なんです。
あなたは自分の意志で役職を受け、その部員さんを担当しているはずです。にもかかわらず愚痴るのは頭破作七分です。そんな活動ならやらない方がマシです。時間のムダでしょう。
あなたが成仏できるかどうか、結局は一念で決まるのです。