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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

池田先生「イメージを軽視するな」

池田大作全集75 475頁より

大聖人の仏法は、日本において、あまりにも教条主義的にとらえられてきた。また国粋主義にも利用されてきた。

日蓮大聖人というと、なんとなく「怖い」「近寄りがたい」というイメージすら作られてきたのが現実である。

かえって「法」が根本的に間違っている謗法の親鸞などが、その人間くさい一面をたくみに宣伝して伝えられ、多くの人をひきつける残念な結果となってきた。

こうした歴史は、正法を弘める者にとって考えなければならないひとつの課題を示唆していると言えよう。

私がスピーチの中で、心がけてきたひとつも、大聖人が、どれほど民衆の1人1人を大事にされていたか、どれほど濃やかに激励され、優しく包容されていたかを示すことにあった。






いくら創価学会が大きくなったと言っても、日本最大の宗派は、いまだに浄土真宗です。

やはり、彼らが日本人の国民性を巧みにつかんできたことは、認めざるを得ないでしょう。

仏法を弘めていくには、それぞれの時代・社会の常識を無視することがあってはいけません。

組織が大きくなればなるほど、常識を重視する必要があります。さもないと無用な誤解や衝突を招くからです。

常識を失えば、それはもはやカルト集団です。



池田先生は、常々「周囲に奇異な印象を与えてはいけない」と指導されています。

それ自体が、無用な偏見を生み、広布の妨げとなってしまうからです。

10時間唱題会の自粛を呼びかけられたのも、それが世間からかえって「狂信」に見られることを危惧されたからです。

自分たちさえ満足していればいいというものではありません。

選挙戦にしても、たまたま入ったお店のスタッフにFを頼むといったやり方は、戸別訪問になりかねないし、かえって学会は非常識という印象を与えてしまいます。

日蓮大聖人には辻説法の伝説がありますが、実際は当時の鎌倉で辻説法は禁止されていたので、人脈を辿って折伏を進められていました。

通りがかりの人をつかまえて折伏するようなことは、当時でも無かったのです。

法華経の行者は、いつの時代にも、最高の良識人でなければならないでしょう。



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