21世紀への対話より
池田
人間は、学校教育で教えることだけで律せられるものではありません。
学生時代の優等生が必ずしも人生の成功者とは限らないという事実が、これを証明していると思います。
また、学問それ自体が年々発達し進歩しているため、学校時代に学んだ知識が、年月が経つと、もはや時代遅れの役に立たないものになってしまったいることが、少なくありません。
机上の学習だけではなく、社会との接点をつくって人生の経験を踏ませる方法を考えるとか、課外活動や共同生活の経験をもたせるよう、なるべき多くの機会を設けなければならないでしょう。
金銭的、時間的な理由から青少年時代に十分な教育が受けられない人々のことを考えると、私は、大衆が一方で職業に従事しながら同時に学問教育ができる(中略)生涯教育のシステムが必要であることを、痛感せずにいられません。
トインビー
フルタイム(全日制)の青少年教育だけでは十分ではありません。
引き続いて、生涯に渡るパートタイム的な自己教育をしていく必要があります。
人がまだ16歳とか22歳とかの年齢で、ただ一度だけのテストで一流とか三流などと等級づけられ、それで終わりというのはばかげており、不当なことです。
能力と意欲のある人は誰でも、定年に至るまでパートタイム教育を受けながら、同時に生計の資を得られるようにすべきです。
ここで池田先生が主張されているのは、もちろん創価教育学です。
牧口先生は、生涯に渡って半日を学校で学び、半日を実社会で働くというバランスが、理想の教育であり社会であると主張されていました。
ゲーテが小説の中で描いた「教育州」にも通じるところがあります。
そして驚くべきは、トインビー博士も、牧口先生と全く同じ結論を出しているという事実です。
そして、その信念の通りに自己教育を重ねてきたからこそ、博士は史上最大の歴史学者として名を残したのでしょう。(トインビーは60を超える言語を読み解くことができた)
創価三代会長は、全員苦学生です。エリート大学など、誰も卒業していません。
苦学の中で、働きながら学ぶ術を体得していきました。
社会の荒波の中でもまれてこそ、青少年はたくましい大人に成長できます。
エリート大が悪いのではないが、バイトも部活もやらず、ガリ勉一本で青春時代を終えた青年では、やはり軟弱になってしまいます。
そうしたガリ勉がリーダーになれてしまうところに、日本社会の弱さがあります。
創価教育こそが、真のリーダーを鍛え上げるための教育なのです。