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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

教学だけではリーダーとして通用しない





「若き指導者は勝った」より


新たに発見された水滸会の資料。調べるにつれて、抱いていた概念が崩れていった。

戸田城聖会長の言葉には、創価学会の会内にしか通じない、いわば内側を向いたものなどはなかった。

まとめられた資料のインデックスを見ても、政治や経済に関するものが並んでいる。

政治でいえば、国家機構、外交、教育行政。経済なら、経済政策、経済人。

学会の目的である広宣流布を論じた個所もあるが、日本民族論や革命思想、戦争、指導者、処世など、外に話を開いた項目が目についた。

要するに、天下国家を論じる話が多い。いかに実学を重んじたかもうかがえる。観念論などない。仏法哲理に裏づけられた社会論、現実変革論である。







池田先生がトインビーやゴルバチョフと対談できたのは、御書だけを学んできたからではありません。

青年部1級など、大白蓮華を毎月読んでいれば、学生でも合格できるレベルに設定されています。あれはただのスタート地点です。

1級程度で幹部の資格があるなどと思ったら、とんでもない増上慢です。

教学ができるというのは、御書はもとより、富士宗学全集を「原文で」読破読解し、自在に解説できるレベルを指します。当然、古文の素養は欠かせません。

「その上でなお」教学オタクでは、社会に通用しません。


リーダーには、ありとあらゆる分野に渡る「具体的な」教養が要求されます。

教養がないから成仏できないことはありませんが、どんな社会組織でも、リーダーに教養が不可欠なのは道理です。

教養なきリーダーは間違ったお手本を示すことになり、広布の方向を誤らせてしまいます。

すなわち広布のリーダーには、1人残らず「教学力」と「教養力」の両輪が求められるのです。


分かりやすく言えば、リーダーは聖教だけでなく日経を読んでいるのが当然です。

日経すらチェックしていないようでは、大企業の管理職以上からは相手にされません。学会幹部がそれでは、広宣流布は進みません。

いまや内部においても、メンバーには各界のトップレベルがそろっています。医師も弁護士も社長も博士も、全てそろっています。

そのリーダーたる幹部には、当然ながらふさわしい教養が要求されるのです。






池田大作全集72 43ページより

最高の大法を保ったからといって、もはや何も学ぶべきことがないかのように慢心し、独善的になったのでは、仏法の精神に反する。


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