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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅

禅宗の祖は自ら坐禅を否定している

 禅を確立した大鑑慧能(だいかんえのう)はいった。
「長時間座禅をして、心をひとつのことに集中させるというのは、禅病であって本物の禅ではない。ひとつのことに集中しようとすることは執着なのだ。心は動くようにできている。ひとつのことに執着しないからこそ、自由な境地でいられるのだ」
 では、何によって悟りを開くのか?
「座禅ではなく、心によって悟りを開くのである。だから、迷う心に悟りなど開けるはずがない。まして、座禅が禅の目的などではないのだ」
 だが、われわれは、迷うからこそ悟りを開きたいと思う。そのために座禅をする。
 しかし慧能はいう。迷うから悟りが開けないのだと。座禅では、悟りなど開けないのだと。座禅ではなく、(迷わない)心によって悟りを開くのだと。
 だが「迷わない心」とは、すでに悟っているということである。
こうなると、どうどう巡りである。座禅ではなく、迷わない心で悟るというが、迷わない心とは、悟っているということだ。
 ならば、いったいどうすればいいのか?








これは有名な禅問答のひとつなのですが、現代の禅宗の直接的な祖とされる慧能は、自ら坐禅を否定していたのです。

であれば、いくら坐禅を組んでも無駄ということになります。

つまり、禅を捨てることが悟り」なのです笑



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