友へ贈るより
人生の勝負は 死する5年前で決まる
死の瞬間のみが
人生と信仰の
総決算
「5年前」とされているのは、老いてから人生の流れをひっくり返すのは困難という意味でしょう。
ともあれ人生はいつ終わるかわかりません。青年は常に「臨終只今」の心得で信心すべきです。
仏法では「断見」すなわち死んだら無になるという考えを否定します。
生命の本体は空であり、有と無を同時に内包しています。
完全な有も、完全な無もあり得ません。
これは宇宙そのものも同様です。
そもそも、なぁぜなぁぜ(笑)宇宙が存在するのか?
これは、科学と哲学の究極の問いです。
宇宙が存在する必要はありませんが、存在が禁止されているわけでもありません。どっちでもいいんです。
つまり偶然に委ねると、
「宇宙の有る宇宙」と「宇宙の無い宇宙」が、半々の確率で存在することになります。
しかし凡夫の目には、「無の宇宙」は観測できないので、この世に「有の宇宙」だけが存在するように見えているだけです。
同様に、あなたが存在する確率も、本来は50%です。
無の宇宙には、当然あなたは存在せず、有の宇宙だけに存在するので、ちゃんと計算は一致しています。
ところが、死後に無になるとしたら、存在確率はいきなり0%になってしまい、計算が合いません。断見は、宇宙の法則に反しています。
ゆえに、有の宇宙では、あなたの生命は死後も永遠に存在すると考えられるのです。
具体的には、死後は生命が大宇宙に溶け込むので、
「一切衆生の喜怒哀楽を一身に感じる」
と考えるのが、一番素直です。宇宙そのものが我が身です。
たとえ自殺しようと、本体たる宇宙の苦悩(地獄界)から逃れることはできません。だから自殺は無意味であり、苦悩を深めるだけなのです。
そして縁に触れ、再び肉体を持って生まれてきます。
仏法では「今世の臨終の境涯」が、来世にもそのまま続いていくとされます。だからこそ臨終が最も肝心です。
来世を清々しく仏界からスタートさせるためにも、われらは信心しているのです。