池田大作全集95 109頁より
大聖人は断言されている。
「目連尊者が法華経を信じられた大善は、自身が仏になっただけではなく、父母も仏になられたのです。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも思いがけなく成仏されたのです(御書1430頁通解)」
1人が成仏すれば、皆を成仏させることができる。
嵐の暗夜にあっても、一本の灯台が燦然と輝きわたっていれば、多くの船を安全に導いていけるようなものである。
自分が根本である。
末法の広宣流布は、蓮祖というただお1人の仏のご出現から始まっています。
この時点で、一切衆生の成仏の道が開かれました。
なぜなら、自分だけ成仏すればいいという利己的な仏はいないからです。
仏が1人でも現れれば、必ず皆を仏道へ導くのです。
今日の私たちに即していえば、「池田先生の弟子として1人立つ」ことが、成仏と同義になります。
先生が常々「たった1人が立ち上がればいい」というのは、仏法の方程式通りのご指導なのです。
「たとえ自分1人でも、必ず広宣流布するのだ!」
その「日蓮と同意」の一念が、梵天帝釈を、六万恒河沙の眷属を動かすのです。
自身仏にならずしては父母だにもすくいがたし・いわうや他人をや
御書1429頁