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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

「根性」と「信心」を混同するなかれ

※執筆中に通信障害で一度記事が消えてしまいました。きわめて魔の強いテーマです。



信心と根性は異なりますので、法華経の修行においては、外道や密教に見られるような「荒行」「苦行」は無用です。

もしもあなたが、三日三晩眠らず、足も崩さず、飲食も取らず、トイレにも立たずに(笑)題目を唱え切ったとしても、根性はつくかもしれませんが、成仏とは何の関係もありません。

荒行を達成した同志がいても、お手本にはならないし、褒めてはいけないし、やらせてはいけないし、やっていたら直ちに止めなくてはいけません。

荒行が成仏に必要なら、人一倍体力と根性のある人しか成仏できないことになってしまいます。これでは信心根本ではなく「根性根本」です。

ずっと五座三座をやり抜いてきた先輩方から見れば、方便自我偈しか知らない今の青年部は根性が足りないかもしれませんが、要は「成仏できればいい」ので、根性を鍛えてやる必要はありません。

根性をつけたければ勝手に極真空手にでも入門するでしょう笑

創価学会は「信心を教える場」であって、根性を鍛える場ではありません。ここを決して混同しないことです。



リレー唱題会が良くないのも、誰か1人は導師を続けなくてはならないため、結果として荒行になりがちだからです。

最初は1時間の約束だったのが、交代メンバーが来ないため結局2時間休憩なしで導師についたというような経験は、誰しもあるはずです。

「2時間くらいで音を上げるのは情けない」というのは、まさに根性論です。体力も体調も人それぞれであり、長時間ぶっ通しで題目できないのは、信心が足りないからではありません。それでは多宝の友は誰も成仏できず、長年の信心はムダだったことになります。

リレー唱題会を開くのなら、何時間であろうと、言い出しっぺが最後までぶっ通しで導師を続けるべきです。実際にやれば、どれだけ無意味なことか分かるはずです笑

特に「長ければ長いほどいい」という考え方では、10時間より24時間、24時間より72時間、、というように、キリがなくなってしまいます。

導師を割り振るのは、題目を「唱えさせる」ことになります。やらせる信心に功徳はありません。

10時間唱題会を開くのではなく、(本気で必要だと思うのなら)あなた自身が10時間唱えるのです。

そうすれば自分の功徳になるし、その功徳を同志に回向すれば、いちいち唱題会を開く理由はどこにもありません。

唱題や折伏を「やらせる」幹部など、学会には1人もいりません。必要なのは、自ら率先して信心するリーダーだけなのです。

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