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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

戸田先生「折伏は入会させることが目的ではない」








(戸田城聖全集より)




やるやらないはむこうの自由です。なにも創価学会へ引っぱりこんでしまわなければ、折伏にならないなどと考えなくともよろしい。




日蓮大聖人様が佐渡からお帰りのときに、ある念仏宗の寺にお弟子をやって、「どうせいっても聞くこともあるまい、しかし一応はいってこい」と命じられたと伝えられております。
これはりっぱな、日蓮大聖人様の折伏ではないですか。
相手は聞くわけがありません。その寺の前を通るときに一応いわなければ仏の精神に反するから、それでお弟子をやって折伏させたのです。




御本尊を受けさせなくても仏様の尊さを賛嘆することが、折伏なのです。そうすれば気が楽になるでしょう。



このような人がいるのです。どうかはいってください、おはいりください。
まるで保険の勧誘員にいわれているみたいです。これでは法を下げます。
入れてあげるのです。折伏してあげるのですから。けっしてはいってくださいというのではありません。御本尊様の功徳を賛嘆すればよいのです。
御本尊様というものはありがたいものだとさえいえばよいのです。




次の日になって女房とけんかしてやめたといっても、それでけっこうなのです。そういってやりなさい。ああけっこう、けっこう、と。




どうしても創価学会員にしなければだめだとか、御本尊を持たせなければだめだとかがんばるから、おかしな事件が起きてしまうのです。




座談会のときに、「あなたやりますか、やりませんか。ああ、”決”一人」などと、勘定しているのではないのですから、そういうことをやってはいけません。
これでは、はいる者もはいらなくなったり、その場ではいるといっても、途中でやめてしまったり、御本尊様をそまつにしたりするのでだめなのです。
私は”決”などをとれと教えた覚えはありません。




そうあわててやらんでも、「きょうは帰って考えてきます。おとうさんと相談します」「女房と話します」それなら、それでいいではないですか。
それを無理やりに御本尊様を持たしてしまうものだから、おやじが怒ったり、女房が怒ったりして、御本尊様を不敬してしまうのです。そういう折伏はいけません。



六軒も七軒もしなくていいから、一人でよいから、ほんとうにありがたいということをわからせて持たせなさい。







御書には「強いて説き聞かせよ」とありますが、「強いて入信させよ」などとはどこにも書かれていません。

折伏とは、仏法対話のことです。

聞法下種でも将来は必ず発心しますから、対話できた時点でその友を三世永遠に救ったことになるのです。

入信するしないは相手が決めることで、あなたが心配することではありません笑

大聖人は信心強情な信徒にしか御本尊を授与しませんでした。信心は本来精鋭主義です。


「仏法は理解した、しかし学会に入る気はない」

対話の結果がそれだったら、それでいいのです。

池田先生も、理解者のすそ野を広げることが広宣流布に不可欠だと言われています。

成果目標はあくまで方便です。

成果主義に陥ることなく、仏法の本義に基づき、着実に対話を進めて参りましょう!





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