御書の原文は、その多くが漢文です。
江戸時代まで、僧侶や武士は漢文ができて当たり前でしたから、当時は日常でした。
しかしそのままでは現代人には難解すぎるので、日亨師が書き下し文に訳してくださったのです。
つまり学会では、御書の原文を学んでいるわけではありません。
また亨師も19世紀に生まれ育った方ですから、現代の青年にとって読みやすい訳でないことは止むを得ません。
つまり、御書が難解であることが、青年の育たない大きな要因となっていることは間違いありません。「人間革命」でさえ、青年には難しいですからね。
やはり、原文が収録されていないことは、今の御書の文献としての大きな弱点です。
それと同時に、誰でも読める平易な現代語訳を併記することは、21世紀の青年を育てる上で不可欠です。
SGIの発展は、国ごとに今の言葉で御書が読める点が大きいのではないでしょうか。
同じことは、勤行にもそのまま当てはまります。
少なくとも江戸時代まで、僧俗ともに意味を理解して法華経を読んでいました。意味も分からずマントラを唱えるような勤行は望ましくありません。
将来的には、現代語での勤行も検討されるべきでしょう。
青年を離れて仏法はありません。常に「法を青年に近づける」努力を忘れてはならないでしょう。