末法は万年ですから、ひとつの時代に広宣流布することより、令法久住(法を次代に絶え間なく伝えていくこと)が優先されます。
大聖人も晩年には、国家諫暁をいったん置き、日興上人や南条時光の育成に全力を注がれています。
また、後継者には1番弟子の日昭ではなく、36歳の日興上人を指名されています。
日昭は大聖人より年上とされ、大功労者ではありましたが、次世代のリーダーとしては年を取りすぎていました。
いくら組織が発展しても、いつまでも長老が仕切っていて、青年が育っていなければ、それだけで失敗なのです。世法上の組織にも当てはまる方程式です。
特に後継の人事について、年功序列で決めるのは間違いです。
常に世代交際を意識し、平均年齢が上がらないようにしなくてはなりません。
一般の会社も、平均年齢が40歳を超えると、一気に生産性が落ちると言われています。
また、青年がトップに立つのはいいが、そのまま何十年も後継を育てず、自分自身が長老化してしまうケースも、よくあります。
そうならないためにも、任期は厳密に守られるべきでしょう。
一度でも正法の継承が断絶してしまえば、暗黒の時代が何世紀も続く事態を招いてしまいます。
しかし最悪の場合でも、真正の仏法を保つ青年が1人いれば、次世代に法を伝えていくことができます。
戸田先生が池田先生をマンツーマンで徹底的に鍛えられたのは、まさにそのためです。
烏合の衆では、何もできません。
青年ならば、まずは自分自身を一騎当千に鍛え抜くことです。
また、たった1人でいいから、一騎当千の後継青年を育てることです。
それこそが令法久住の闘いになるのです。