蓮祖ですら、自ら指名した本弟子6人のうち、5人までも邪義に流れてしまいました。
中心者も凡夫であり、完璧なわけはありません。組織が大きくなるほど、フォローが必要なのは当然です。
三代会長も凡夫であり、あえて細かに欠点やミスを探せばキリがないでしょう。その後の会長であればなおさらです。
とりわけ組織の欠陥を、全て法華経や中心者の責任に還元しようとするのは、あまりにも幼稚です。
退転者どもは皆もっともらしいことを言いますが、では連中がどれだけ世界に南無妙法蓮華経を流布してきたというのでしょうか?
結局は、偉大な師匠のあら捜しで一生を終えた負け犬に過ぎません。
高齢化に直面しているのは学会だけではありません。先進国共通の課題です。学会が大きくなればなるほど、社会情勢の影響も強く受けます。会長だけで解決できるような話ではありません。
また歴史的にも、宗門外護の立場から、学会が矢面に立って泥をかぶってきた面があります。
信心の問題と中心者・組織の問題は、区別して考えていく必要があります。法華経のせいで高齢化したわけではありません。
青年ならば、自分が会長になって世代交代を成功させようというくらいの気概を持つべきです。
それはそれとして、中心者に対して「折伏の結果」だけは、厳しく求めていくべきです。さもないと、ただの甘やかしになってしまいます。
創価学会とは、三代会長が確立した折伏弘教の精髄を、継承発展させていくための団体です。
中心者が結果を出せないでは、さすがに話になりません。
例えるなら、公式戦で一勝もしない選手が監督に就任するようなものです。
さすがにそんなでたらめな中心者は支えられないし、支えればかえって広布が後退してしまいます。
他のことはいくらでもフォローしますが、折伏だけは責任もってやり抜いていくことが、中心者の条件なのです。