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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

御本尊を「裏返して」安置しても功徳はあるのか








仮に、御本尊を印刷した時点で「物体としての紙」に法力が生じるとします。

であるなら、たとえ「裏返しにご安置」したとしても、法力そのものは変わらず、祈れば通常と同様に功徳があるはずですよね?

もちろん、逆さまに安置しようが、土間に敷こうが、巻いたままだろうが、はたまた統一信者やオウム信者が面白半分に自宅に飾っていたとしても(笑)、物体としてはまさしく御本尊なので、功徳は全て変わらないことになります。

実際のところは、もしもあなたが

「本尊を正面から拝するなど畏れ多い」

という価値観の文化で育ってきた人ならば、裏返し御本尊でも、変わらず功徳があるだろうと考えられます。(現実にはこの世にいないと思いますが)

ご安置の仕様はあくまで化儀の修行なので、絶対の仕様というものはありません。時代や場所と共に変化していくものです。

ご在世当時には、神社から神体を排除して御本尊をご安置するケースもあったそうですが、今では検討する必要もないことです。

法力とは「人間が祈った時点で」初めて生じるものなのです。

誰も祈らなければ、御本尊とてただの板切れ紙切れに過ぎません。

人間がエンジンをかけて運転しなけば、車が「でかいハコ」に過ぎないのと同じです(笑)

肝心なのは、ご安置の有様に、その人の御本尊への気持ちが凝縮されているという事実です。

ご安置の時点で、すでに「祈り」は始まっています。

そして御本尊であれば、御本尊に相応しい最勝のご安置の場所、ご安置の有様があるはずです。

もちろん個人差はありますが、少なくとも「土間に敷くのが最勝のご安置である」というセンスの人など、この世にいないでしょう。

また、信心無き者がポスター感覚で飾っていたなら、憤慨抗議するのが当然です。親の写真を粗末に扱われて激怒しない人はいません。

五老僧は故人の遺体に御本尊をかぶせて埋めていましたが、まさに彼らの「御本尊への気持ち」が表れています。彼らにとっては「使い捨ての道具」に過ぎなかったわけです。

ご安置それ自体が修業であり、ゆえにご安置の場は即戒壇となるのです。




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