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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

「御本尊のコピー」はニセ本尊?








仏法対話の中で最も説明に苦労するのは

「印刷されたコピーの本尊に力があるわけがない」

という反論でしょう。

確かに、オリジナルの真筆ならともかく、コピーは単なる紙に過ぎないような気もします。

ここで「破折」されたままなら、あなたの信心も壊されてしまいます。

御本尊をただの紙と信じていれば、やはり紙としての働きしか成さないからです。

人間がエンジンをかけなければ、車もただの鉄くずです。それと同じです。



無量義經には「分身散体」の法理が説かれています。

要するに「オリジナルとコピーは全く同じ力用を持つ」という原理です。

仏法に限らず、全ての宗教に共通する考えであり、だからこそ世界には様々な仏像や神像、神札などがあふれているのです。教祖様がいちいち全部手作りしてません(笑)

弘安二年の御本尊の場合、蓮祖の真筆に弟子が彫刻を入れているので、その時点でオリジナルはこの世から消滅しています。

昭和のマンガでいうと、原作者は下書きのみで、ペン入れと着色はアシが全部やりました、みたいな話です(笑)

それをニセモノとするなら、富士系の本尊は全て「ニセモノのニセモノ」となってしまいます。



またしてもマンガのたとえでいうと、オリジナル原稿(データ)でも、それを製本印刷した完成作品でも、面白さに全く変わりはありません。

「ヤンジャンに掲載されている『推しの子』は原データのコピーだからニセモノだ!」

などという狂った読者はいないでしょうwww

また、仮に原稿が紛失しても、作品が面白くなくなるわけがありません。

オリジナルが現存しているかどうかと、作品の価値は、何の関係もありません。

御本尊の本質は「素材」ではなく、あくまで記された「情報」です。

ゆえに、身延が大昔から騒いでいる本尊偽作論など、典型的な論点反らしの詭弁であり、仏法上「全く」意味がないのです。

また、自宅に御本尊がご安置されている以上、いちいち大石寺まで出かける必要もないのです。

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