新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘がうる者ではないが、世界大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。
この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗(しゃりほつ)にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下もまた、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきを持っていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰(そんぎょう)し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に沒在(もつざい)せる東洋の浄土化を、弘宣(ぐせん)せんとする者である。
諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。
奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ。
しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯(ゆうげ)する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱(にんにく)のよろいを著(き)、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱れるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地(かたいじ)を、精進勇気の利剣をもって、断ち切る戦いである。
第三は、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人が愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境涯を会得する、人間革命の戦いである。
しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれて、地涌の菩薩の後身(こうしん)を確信することである。
第二に、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命(めい)として、努むべきである。
第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。
第四に、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚されたきことである。しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。
ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。これは、聖師の金言なり。
されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。
愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。
大聖にほむるるは、一生の名誉なり。
心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。
昭和二十六年十一月一日
大白蓮華 巻頭言