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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

河合一師範指導抜粋 昭和57年11月30日葛飾文化会館

河合第六東京部長講義(当時)



男子部にしても学会世が増えてきている。

その中で、「信心とは何か」という基本が非常にあいまいになってることだと思うんですね。

だから信心が「会合型信心」「活動型信心」になってるんですね。だから、「会合」に出れば信心がある、あるいは、皆と動いていれば信心しているみたいな錯覚があると思うんです。



「指導」とは何かというと、結局それは「御本尊」へ向かわせること。

その人の「一念」を「御本尊」へ向かわせること。簡単に言えば「発心」させること「決意」させること。「指導」とは「発心」させることと言っていいんですね。その上で、いろいろなことを「教えてあげる」あるいは「実践させる」あるいは「守ってあげる」事は必要です。根本はあくまで「指導」なんです。「指導が」下手をすると今、出来なくなってる。色々なことを教えたり、動かすこと、守ってあげることは出来るかもしれないが、根本の「指導」が出来ないと人は育たないんですね。だから下手をすると幹部が「運営上」の「指導べた」になってしまう。

組織とか会合の「運営」はうまくなったけれども「発心」させることが出来ない。

「決意」させる事が出来なくなっているんですね。これが一番恐いことだと思うんです。



「今日の話は良く分かった。早く帰って寝よう」と言うのが失敗なんですね。「話は良く分からないけれど、とにかく信心しなければ駄目だ、題目をあげなければ駄目だ、折伏しなければ駄目だ、」と「決意」して帰ったら大成功なんです。

そういう面では「会合」はあくまでも「発心」の場でなくてはならないんです。



牧口先生はこう言われた。

『病気をした。これは罰だ。と何故だったんだろうと悩んでもしょうがない。

それだけでは解決はしない。そこでこの病気を必ず変毒為薬してみせる。健康という大福運を開いてみせると確信をして、決意して信心を続けていくことが大事なんだ。そうすれば病気が治るだけではなくて、全快した ときには以前より健康になるのが変毒為薬の妙法の功徳なんだ』といわれた。

病気したら前より健康になればいいんです。治っただけじゃいけないんです。

前より健康にならなくてはいけないんです。失業したら前よりいいところに就職すればいいんです。そして同じ事で二度と悩まない。これが宿命転換した証拠なんです。

仕事の事でまた悩む、しばらくしてまた悩むというのは宿命転換していないんです。



起き上がりこぼしは、触ればゆれるけど、ほうって置けば必ず安定しますね。それは、起き上がりこぼしの底に重たい重心が入っているから、触ればゆれるけど、最後は安定するんです。この重心が重いほど安定度は増しますね。重心が上の方にあるとひっく り返ってしまいますね。

仏界の重心を重くすれば重くするほど、何があってもすぐに元に戻るんです。

命の重心を重くすれば、何があってもゆれが少なくなってくるのです。そして、根本は安心しきっていける。



氷山の一角といわれるように、水の上に出ているのはほんの一部なんですね。

水の上に出ている部分を悩みとします。この部分だけが宿命ではないんですね。宿命の現われに過ぎないんです。人の生命は宿命の固まりなんですね。

水から出た部分が悩みなんです。

この悩みを方法で解決したとします。

病気になった、医者で治した、悩みはなくなった。ところが氷山は上の部分がなくなると、また下の部分が出てくるんですね。今度は家庭の問題であるとか、

そのうちに氷山の下の部分が膨れてくるんですね。きりがないんですね。

ですから元を断たなければ駄目なんです

生命そのものを変えなければ、悩みの形が変わるだけで、悩むことに変わりはないんです。その生命そのもの弱い醜い命を、どうきれいにするかということが信心なんですね。だから悩みが起きた時がチャンスなんです。

悩みが出てきたということは、その人の宿命が出てきたわけですから。

信心して出てきた場合には、これは解決する為に出てきたんです。



戸田先生は「癖が出るのを罰という」といわれた。この「癖」というのは、命の「癖」つまり「宿命の癖」が出るのを「罰」・「不幸」というのだ、と言われた。

「罰」というのは「仏様」や「神様」があてるのではないんですね。

自分の中にある「癖」が出てくるんですね。ですから「罰」は出るもんなんです。バチが当たるのは太鼓だけ。

その出方が問題なんですね。

信心をしている場合には「転重軽受」。

これを現代的に言うと大型割引ということなんですね。

どんなに信心頑張っても借金がゼロにはならないんです。ですから信心をしていて「悩み」が出てきたということは「転重軽受」するチャンスなんです。

ここに百万円の借金がある。

とても返せない。十万円に負けてやるからすぐに払うかと言ってきたようなものなのです。払ってしまえば、百万円の借金は無くなるんです。ですから急いで払ってしまえばいいんですね。払わないと結局差し押さえにあうんです。



飛行機でも着陸が大事なんです。着陸寸前でおっこちてはいけないんです。こうゆうのを片桐型信心って言うんです。着地に失敗してはいけないんですね。着地しなくちゃだめなんです。着地するときに事故の7割が起きるんですから。信心も同じなんです。



実証というのは決意の持続にあるんです。決意したことをやり通せば結果は必ず出るんです。決意の持続が実証なんですね。

実証が出ない、結果が出ないということは、決意があいまいか、持続しなかったかどっちかなんです。



たいていは「決意」することをさせないで「やること」を強制させてしまうんです。その悩みだったら2時間題目を上げなさい、とか言うわけです。これは、悪くはないのだけれども、相手に押し付けたのでは結局重荷になってしまうんです。

本当の「決意」ではないから、「言われた決意」だから。「言われた決意」というのは長続きしないんです。結局「押し付け」だから。本当の「発心」ではないから。



形から入ったら「惰性」になってしまうんです。

「決意」から入ったら「信心」になるんです。だから、「決意」させる事が「信心」なんです。そうすれば、後は言わなくても一緒に活動できるようになるんです。

心が動けば体はついてくるんです。体だけ動かしても心がついてこなければ空回りになるんです。

だから

「言われたからやっている」

「やらなくちゃならないからやってる」「なんとなくやってる」

「なんとかなるからやってる」

こうゆう一念は全部「受け身」なんです。「受け身」=「惰性」ということ なんです。惰性だと必ず重荷になるんです。

そうすると、活動が苦しくなってしまうんです。

したがって「結果」が出ないんです。

そして「愚痴」と「文句」が出てしらけてくるんです。



学会二世というのは生まれつきの惰性ですからね。信心の体験がなくてそのまま来ている人が多いですからね。

人柄はいいのだけれども弱いんです。

体験がないから、何かあると挫折してしまうんですね。何の為に信心をするのかということを教わっていないんです。

勤行と活動だけは教わっているのだけれども、そうゆう意味では自分の意志で信心を始めたわけではないんですね。自分で決意して初めて信心になるのです。




文化祭は頑張ったけれども、文化祭が終わったとたんに勤行しなくなってしまったという人、大勢いるでしょ。

すぐ落ち込んでしまうんですね。

自分自身を変えようという決意があった上にそのために活動を頑張るんだということが大事なんです。そうすれば活動が全部生きてくるんです。活動の為だけの目標だと自分自身の変革はないんです。



理論で相手に話をしても、相手に通じることは少ないでしょう。

これは、家族でも、親子でも同じなんです。言葉で通じることって少ないんです。ではどうするか?

直通はだめなんです。御本尊経由でいくんです。必ず通ずるんですね。遠回りで、一番近道、御本尊経由が一番近道、一念は通じるんです



朝、お題目を上げられない人は、一日負けなんです。

一日負けということは、人生負けということです。

朝、その日、その日を決めて・祈って・動いて勝負なんです。

その積み重ねなんです。

だから毎日、毎日の戦い、会合がある、折伏がある、指導がある、本当にそう思ったら祈れるはずなんです。

祈らないでくから結局から回りになってしまうんです。空回りの連続だから、良くわからない、良くかわらないから、楽しくも何ともなくなってしまうんです。そして、愚痴と文句が出てくるんです。ですから朝の勝負なんです。

この一日の積み重ねが、戦いなんです。



成仏は、発心の持続にあるんだ。という事です。



信心をしていれば、なんとかなるんじゃない、自分で決めて・祈った分しか、結果は出ないんです。



四条金吾殿に与えられた御書の中に、

「たとえ、相手が妻子であっても、愚痴をこぼしちゃいけない」という御書があるんです。相手が自分の妻や、子供であってもですよ。

愚痴をこぼしちゃいけないっていうんです。結局、愚痴というのは、「自分は悪くないんだ。環境が悪いんだ」というのが愚痴でしょ。

自分の弱さの現れであり「自分のせいじゃない、人のせいだ」って言うのが愚痴なんです。今度それを相手にぶつけるのを、文句というのです。だから愚痴と文句は、双子の兄弟なんです。信心している人にぶつけると、怨というのです。双子の兄弟の親分になるんです。

だから、愚痴と文句と怨嫉と付き合っているうちは、どんなに頑張っても功徳はないんです。盛大に付き合っている場合が多いんですね。どんなに頑張っても、マイナスになってしまうんです。ですから、愚痴と文句を言わないことですね。人に言ったら愚痴になるんです。大変だ!御本尊にぶつければ、祈りになるんです。百万遍愚痴を言ってもいいことはないんです、御本尊に言ったら開けちゃう。人に言わない!御本尊にぶつけることですね。愚痴と文句と怨嫉をしないことが功徳を受ける信心のコツなんです。



どんなに立派な決意しても、持続しなかったら、決意しなかったと同じです。この間来た男子部がいうんです。決意がすぐ変わるんですって。変わる決意は決意じゃないんです。そうでしょ、行き先を変更ばかりしているんですから。大阪行こうかな、仙台行こうかな、新潟行こうかなって、行き先変更ばかりしているんですから。着くわけないんですね。切符を買っても途中で降りちゃうんですから。キャンセル型信心っていうんですね



信心しているからといって、「信心してもちっとも変わらないじゃないか」

「仕事もちっともできないじゃないか」と、そうゆう風に、生活の上に実証を示せないで、むしろ人に御本尊を疑わせる、とすれば謗法だと、よく戸田先生が言われました。そして広宣流布の妨害だといわれたんです。



入会者の入会動機を聞いてみると、

入会動機の53%は紹介者の熱意、真心に感じてです。28%は紹介者の人柄、言動に感動してです。81%は紹介者なんです。紹介者の一念なんです。

紹介者の振る舞いなんです。

どんな戦いだって同じことですよ。やっぱり相手がこちらを信用しなければだめなんです。





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