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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

池田先生「負けるくらいなら逃げよ」

創価学会指導集1「指導者」より

応用、立体作戦の場合には強い敵にあたることは愚かである。

負けるに決まっている場合には、逃げたほうが利口なのである。

そして「時」を待つべきだ。

戦うべき時と、戦いを避けるべき時と、これをわきまえられる人は賢人だ。




池田大作全集68 381頁より

現代も大事だが、将来はもっと大事である。

無理に無理を重ね、やっと勝った。しかし、疲弊しきって次は大敗した、というのでは、あまりにも指導者として無責任である。

何にもまして大切なのは「最後の勝利」である。




583頁より

戦いは、ただ前へ前へと進んでいけばよいというものではない。

一歩退くことも必要な場合がある。

「前三後一」の方程式は、人生にあっても同じである。

途中にいくら勝利があったとしても、それが最後の勝利へと結実していかなければ何の意味もない。




全集96 431頁より

負ける戦いならば、最初からしないほうが、ましである。




全集100 304頁より

戦は一気にやるものではない。押したり引いたりしながら、割り入っていくのである。





「人生の座標」より

人生や戦いには、前進するときもあれば、退いたりするときもあります。

休んだ方が良い時もある。

様々な変化があっても構わないのです。





師弟の大城より

戦いというのは、えてして、勝利の中に敗北の因があり、敗北の中に次の勝利の因があるものだ。

小さく考えないで、勝っても負けても、朗らかに前進しよう!

そして最後に断固として勝つのだ。








池田先生は会長勇退後、しばらく会合にも出席されず、指導も避けていました。

当時は正信会の坊主たちが強い発言力を持っており、在家の先生が尊敬を集めることに不快感を示していました。

しかし先生は、坊主たちの勢いが続かないことを見通されていたのでしょう。

時を待ち、やがて反転攻勢に転じます。

正信会は宗門からも追放され、第一次宗門問題は収束します。

逃げるのは卑怯だというのは武士道ですが、仏法は武士道とは違います。

現実無視の根性論は、決して仏法ではありません。

肝心なのは「最後に勝つ」ことなのです。




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