牧口先生は57歳で日蓮大聖人に帰依され、ひとりの若き僧侶から法門の手ほどきを受けました。
この青年僧・泰栄師は、愛弟子の戸田先生と同じ30歳。後の日淳法主です。
当時の牧口先生はすでに価値論を確立した哲学界の王者です。しかし仏法に対してはあくまで謙虚に、息子ほども若い師に初歩から教えを乞うたのです。
おそらくこの時点で、日淳師は先生が自解仏乗の人であることを直感されていたと考えられます。
当時から宗門は腐敗の極みにありました。心ある青年僧にとって、どれほどの懊悩があったか計り知れません。
そこに出現したのが、社会的にも大学者として尊敬を集めている牧口先生でした。おそらく若き日淳師は、先生こそが法滅を救う唯一の希望と見込まれて、一切の法門を教導されたのでしょう。
その後の歴史は、万民が知る通りです。
日亨師が「学会のおじいちゃん」であるならば、日淳師は「学会のお父さん」に等しい存在なのです。
日淳師は同い年の戸田先生と僧俗和合の時代を実現し、戸田先生の後を追うように御本尊の元に帰還されました。学会を生み育てるために生涯を捧げられました。
「ひとりを育てる」ことが、どれだけ重要なのかを伝える歴史です。結局は「一人立つ獅子王」ですべて決まります。
学会を切り捨てた今の「花和尚ファンクラブ」は、こうした先師の功績をことごとく否定しているに等しく、もはや花和尚がでっち上げた登山カルトというしかありません。
富士の清流は、いまや創価学会にしか存在しません。学会は何も変わっていません。
先師違背の花和尚を完全呵責することが、日淳師への御恩返しであり、現在における僧俗和合なのです。
池田大作全集69 584頁
日淳上人と戸田先生、日達上人と私、この宗門と学会のうるわしき、また絶妙なる和合があったがゆえに、仏教史上、未曽有の仏法の大興隆が成し遂げられたのである。
このことを、後世のために、とくに申し上げておきたい。