大聖人は満52歳で身延に入られ、後の折伏弘教については28歳の日興上人に一任されました。現場のことは一切青年に託されたのです。
日興上人もまた、大石寺が建立すると、30歳の若き日目上人に相乗し、事実上のトップに任命しています。自らは重須に移り、師と同様、離れたところから弟子たちの成長を見守っていきました。
これらの事実は、広宣流布のリーダーが永遠に青年であるべきことを示すものです。
学会もかつては、若き池田先生が先頭に立って矢継ぎ早に手を打ち、会員は後をついていくのが精いっぱいだった時代がありました。
先生は会長就任からわずか10年で750万世帯を達成します。
当時はまだ、師匠の支持を受けて動けば、間違いはなかったのです。
先生は51歳で勇退され、後継の弟子たちが先頭に立つべき時代が始まります。
しかし、「師匠の支持を待つ」傾向は、なかなか改まりませんでした。過去の成功体験が大きなものであるほど、そこから抜け出すのは難しくなります。
それは「組織の打ち出しを待つ」傾向に代わり、打ち出しが無ければ何もしない、下手をすると折伏すらしないという情けない姿が見られるようになります。
いまや池田先生も89歳です。いまだに、師匠が先頭に立ち、指示を出してくれることを期待しているような青年に、後継の資格などありません!
池田先生のように偉大な師匠が、末法万年に途切れることなく次々に出現することは、残念ながらありえないでしょう。
大石寺の歴史を見ても、中世以降で真に偉大だったと言える法主は、日寛上人と日亨上人くらいです。
つまり、これからは、師匠のいない時代が何百年も続きます。
これは、天魔にとっては大きなチャンスです。
広布の組織を破壊するため、あらゆる策略が実行されるでしょう。
仏法の方程式に照らして、学会の会長や公明党の代表が悩乱することも避けられません。
私たちはその時に、天魔を断固として見破り、追放する力のある青年を育てなくてはならないのです。
師匠が先頭に立って闘う時代は、とっくに終わっています。
誰かの後をついていくのではなく、御書根本に、自らが先頭に立って前進していくのが、われら本門の青年部なのです。