池田会長講演集第一巻より
非常識きわまる言動、世間に奇異な感じを与える愚かな姿は、我が学会には絶対にあってはなりません。
それは、正法を誤解させ、学会を誤解させるもので、もはや獅子身中の虫であります。
池田会長講演集第3巻より
無理な学会活動をして社会に迷惑をかけることは、大謗法であり、学会の敵である。
池田大作全集73 125頁より
「仏法と申すは道理なり」と大聖人は仰せである。
それは社会の常識と決して相反するものではない。
非常識な信仰活動などはありえないし、社会人として、仏法者として常識と人間性豊かな私どもの振る舞いでなくてはならないことを、あらためて確認しておきたい。
池田大作全集72 530頁より
会釈のひとつもせず、夜遅くまで大きな声をたてたり、早朝や深夜の電話の音、出入りの音、車やバイクの騒音などで、いやな思いを与えていたのでは、もはや社会規律に反すると言わざるを得ない。
また路上でのおしゃべりや、たばこの吸い殻などにも注意しなければならない。
どんなに立派なことを言い、また価値ある運動をしたとしても、むしろ人々は、そうした身近な振る舞いの方で判断するものである。
これまで、ずいぶんそうした面で、広布の前進を遅らせてしまったこともあった。
創価学会指導集1より(戸田先生指導)
折伏に熱心のあまり、青年が夜の10時、11時に、他家を訪問するということは、世法を無視するがゆえに、世間の笑いを買い、法を下げ、折伏に害をなすことが多大である。
新・人間革命「新航路」より
常識を無視した活動というのは、一生懸命であっても、結局は自己満足に過ぎない。
長い目で見たときには、社会の無用な反発を買い、かえって、広宣流布の邪魔をすることになってしまう。
仏法は随方毘尼ですから、それぞれの時代・世代の常識に沿って説き弘めることが原則です。
青年が学会活動から離れてしまう最大の原因は、幹部の非常識な指導です。
特に今は2世・3世がほとんどですから、自分の意志で入信しているわけではなく、やる気が無いのが当然です苦笑
「会合に来なくて当然、来てもらえるのが有難い」のです。
それを、会合に出てこないからと言って叱るのは、完全な非常識です。
何年もかけて信頼関係を築き、やっとのことで組織につけたメンバーを、一部幹部の非常識な一言で次々と潰しているのが、今の創価学会の現状です。
常識は、時代と共に変化します。それを受け入れようとしない幹部なら、いないほうがマシです。否、いてもらっては困ります。
先生が「学会の敵」とまで厳しく叱られていることを忘れてはいけません。