牧口常三郎箴言集より
利害・損得を無視した善悪は空虚であり、いうべくして行われない。
価値論では、善の価値を利の価値や美の価値より優先します。
かといって、利や美を無視してよいということではありません。
生身の人間が、霞を食って生きることはできません。生活の糧は当然必要であり、個人の人生を犠牲にした大善生活は成立しません。
エホバなどは信徒の進学や就職にも制限を加え、伝道を優先せよと教えています。これでは生涯貧困から脱することができず、まさにカルトの雛型です。
信心においても、学会活動のために就職や結婚を犠牲にすることがあってはなりません。幸せになるための信心なのに、それでは本末転倒です。
例えば「婚約者が信心に反対」ということもあるでしょうが、信仰は個人の問題であって、もともと夫婦が同じ信仰をする必要などありません。
相手がたとえ日顕宗だろうと顕正会だろうと、その人が好きだったら結婚すればいいんです。信仰次元の対立を恋愛に持ち込むのは馬鹿げています。
個人の幸福がそのまま世界全体の幸せにつながってこそ、正法なのです。