「21世紀の創価の正義」の中で、ある最高幹部は「神崎君」「冬柴君」「矢野君」と、公明党執行部を君付で呼んでいました。
これが、本来あるべき支援者と議員の姿です。
蓮祖に言わせれば、権力者は「万民の手足」です。手足が威張ってはなりません。
庶民の「忠犬」として、泥まみれで働くのが公明党の議員です。
また同様に、最高幹部も特別扱いする必要はありません。
慶応義塾では、先生と呼ばれるのは福沢諭吉のみで、学長以下全員が福沢の「教え子」とされます。
同様に、学会において師匠は3代会長のみであり、最高幹部を含めて全員が弟子です。
対等の立場なのだから、会長含め「原田君」「秋谷君」で十分です。
役職で呼ばれないと怨嫉するような幹部は、とうてい弟子としてお手本にならないでしょう。
和合僧とは、決して議員や幹部を威張らせないことなのです。