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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

「世雄」と「自在」の違いとは

御書の世界第3巻より(池田先生)

法華経の法師功徳品では、法華経を保つ人の功徳として「六根清浄」を説きます。

その中の意根清浄の功徳として、法華経を保つ人は世間法の何を考え、何を語っても実相に違背しない、すなわち仏法に適っていると説かれている。

大聖人は「仏をば世雄と号し」と仰せです。

現実社会における勇者のことです。

世間法の中で正しく生き抜いていくのが仏です。





「四条金吾殿御返事」の中で、蓮祖は仏が「世雄」であるのに対し、王は「自在」であると対比されています。

ここでの自在とは、権力を行使して他人を思うままに「支配」するという意味となります。

つまり、権威権力を手に入れることは、決して世雄のリーダーシップではないのです。

同様に、学歴や地位、経済力などを手に入れても、それがただちに法華経の実証であるということはできません。

他化「自在」天子魔にとらわれてしまえば、むしろ成仏の妨げとなります。

人徳や道理、言論の力によって、自然に人々のリーダーとなっていくのが、真の世雄です。必ずしもご立派な地位は必要ないのです。

蓮祖も、真冬の身延で着る服すらなく、死んだ鹿の皮を拾って身にまとっていました。まるで石器時代です。何の見栄も飾りもありません。

世雄とは、究極の庶民の代表なのです。




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