忍者ブログ

21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

あなたは一切衆生の宿業を「引き受けて」生まれてきた

九識論によると、人間の意識は9層に分類されています。

重要なのは、表層意識ほど個人的であり、深層意識ほど集合的であることです。

具体的には、第8識からは、宇宙生命と一体化していきます。

第8識は、いわゆるアカシックレコードであり、全宇宙のカルマが寸分も漏れず蓄えられています。

池田先生は、ユングの唱えた集合的無意識は、第8識を部分的に説いたものだとしています。




すなわち、あなたの背負っている宿業は完全に個人的なものではなく、宇宙全体の宿業を含んでいるのです。

仏は一切衆生を憐れみ、衆生の宿業を我が宿業と肩代わりして、この世に生まれてきます。

だから、学会員は病人と貧乏人ばかりなのです笑

我が子が苦しんでいる時、替わってやりたいと思わない母はいません。

凡夫でさえそうなのに、仏が「衆生の苦悩を肩代わりしたい」と誓願しないことなどあるでしょうか?

牧口先生が獄死されたのも、戸田先生が58歳で早逝されたのも、池田先生が長年肺病で苦しまれたのも、全て衆生の宿業を一身に引き受けられた結果なのです。

そうでなければ、九識論は、仏法はウソになってしまいます。



第8識に蓄積された宿業は、誰がが代表して消さなければなりません。

誰かが宿業を引き受け、第9識(仏界)の力を以て消滅させなければならない。

そのために地涌の菩薩は、あなたは生まれてきたのです。

地涌の菩薩とは、いわば宇宙を浄化するための「仏の軍勢」です。



同志が、宿命の嵐に苦しんでいるとしたら、それ自体、地涌の菩薩であることの証明です。

同志に限らず、全ての病める人、貧しい人は、「あなたの替わりに」宿業を引き受けてくれたのです。また、そう観ていくことこそが仏眼を得るための修行です。

だからこそ、あなたには、人々を折伏で救っていく「義務」があります。

同志を最大に讃え、守っていく「責任」があります。

それが「九識に生きる」ことになります。

仏の世界では、自己と他者は一体不二なのです。



同志の宿業を他人事だと思っていたら、どうしても激励が「上から目線」になってしまいます。

あなたが、幹部に激励されても歓喜を感じられないのは、それが原因です笑

特に今の時代、上から目線は青年から嫌われます。共感が無い、口先だけの指導だということを、ちゃんと見抜かれているのです。

同志に悩みを相談されたら、まず

「僕があなたのために100万編の題目を送ります!」

そう断言することが、指導の始まりです。

自分自身が100万編で悩みを解決した体験もないのに、同志に押し付けるのは、無責任なパワハラです。

自分ができない、やる気のないことを、同志に指導してはいけません。

悩みの当人が必死で祈っていないはずもないのに、「君はまだ祈りが足りない」などとマヌケな指導をするのも、幹部失格です。祈りは題目の量ではありません。

苦境の同志は、皆の宿業を代表して肩代わりしてくれているのです。みんなで祈りを送り、支えていくのは当然です。

同志の悩みを我が悩みとして受け止めることが、異体同心の祈りであり、凡夫が仏になるための絶対条件なのです。







追記

当記事に使用していた画像の権利者の方より削除のご要望を受けました。

画像検索で以前に保管していたものを不用意に使用してしまい、関係者各位にご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします。






拍手[58回]

PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
真蓮 ※削除依頼等はお手数ですが「拍手」をクリックしてからコメント欄に記入してください。
性別:
非公開

P R