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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

池田先生「幹部の官僚化を断じて許すな!」

新・人間革命「民衆の旗」より

山本伸一が深く憂慮していたのは、組織が拡大され、整備されるにつれて、幹部が次第に権威化し、官僚化しつつあることだった。

つぶさに全国を見ると、一部ではあるが、あたかも、自分が偉くなったように思い、みんなの意見を聞こうともせず、すべて自分の一存で決定し、命令で人が動くかのように、錯覚している幹部も見受けられた。

なかには、自分を崇める人だけを重用し、時には私生活上の面倒まで見させ、あたかも「親分」と「子分」のような関係をつくるものもあった。

更に、幹部が成果主義に陥り、合意もなく、きめこまかな指導の手を差し伸べることもなく、班や組に、一方的にさまざまな目標の数字だけを割り振り、成果の達成を強引に迫るといったケースも見られた。

「立場への敬意」と「自分への尊敬」を取り違えるところから、幹部の堕落は始まるといってよい。





「敢闘」より

勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。





師弟の大城より

最高幹部でありながら、口ばかりで、現実に難と戦わない。

難と戦う師匠を、さも当たり前のように傍観し、自分は安楽に生きる。そうした人間もいた

これほど卑怯なものはない。











今の学会は当時(1960年)の何倍も大きく、官僚化のリスクは当時以上に拡大しています。

あなたが幹部に選ばれたのは、信心が立派だからではありません。

むしろ、幹部に選ばれる人は、それだけ宿業が深いのです。

普通は、役職など無くても、普通に信心していれば成仏できます。

幹部にならないといけないのなら、自分にはどれだけ深い宿業があるのかと自戒すべきです。

また、信心は熱心でも、仕事などの都合でどうしても会合に出席しにくく、幹部に選ばれない人も大勢います。

つまり、たまたま暇で会合によく出ていたから幹部に選ばれたというケースも珍しくないのです笑



本来はカン違いした人間を幹部にしてはいけませんが、もともと純粋に信心していた幹部が、年齢と共に増上慢におちいることもありますので、完全に堕落を防ぐことは困難です。

ともあれ、悩乱した幹部が現れたら、師匠に代わって、青年が厳しく叱っていくのです。



官僚化の最も甚だしい例は、10年も20年も折伏を決めていない「ニセ幹部」が、折伏している部員さんに対して、指導の真似事をするケースです。

幹部の第一条件は、折伏のお手本を示すことです。折伏できない幹部が学会にいることは許されません。

たとえば、部長時代に折伏を決めなかった者を、本部長に上げることがあってはならないでしょう。大学校時代の成果など過去の話です。

逆に言うと、たとえば区トップの成果を挙げたなら、彼が地区リーダーだろうとニューリーダーだろうと、次の区男子部長に上げるべきです。どう考えても、彼が指導するのが正しいですよね?

折伏できない幹部は全員勇退させ、実力ある後輩とバトンタッチさせるのが、本来あるべき人事の姿でしょう。


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