21世紀への対話より
歴史は、愛のゆえ、良心のゆえに犯された多くの残虐行為を教えています。
十字軍遠征や宗教戦争にみられた残虐行為は、神への愛のゆえであり、神の正義を行うのだという良心の命令で行われたものと想定できます。
何に対する愛なのか、どういう原理をもとにした良心なのかということによって、善にもなれば悪にもなるといえないでしょうか。
間違った男を愛したために不幸になる女性は、数えきれないほど存在します。
この一般論からも、愛が必ずしも人間を幸せにするとは限らないことが分かります。
大切なのは、「愛する対象をどう選ぶか」です。
同様に、信仰の世界においても「何を信じるか」が大切なのであって、イワシの頭を信じても救われることはあり得ません。
信仰とは、理性を否定する「狂信」であってはなりません。
どこまでも人間的な理性・知性の批判に耐えうる「確信」でなければならないのです。