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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅

14歳から働いていた戸田先生






戸田先生は家計を助けるため、高等小学校を出ると14歳で商人修行に入りました。

この経験が、後の実業家人生につながっていきます。

また、仕事の合間を縫って独学を重ね、17歳で小学校準訓導の試験に合格しました。






翌年には一度夕張炭鉱の事務員となりましたが、すぐに念願の代用教員の職を得ます。

秋には正訓導の試験にも合格しました。

しかし生活は苦しく、黒の詰襟が一張羅でした。






20歳となった戸田青年は職を辞して上京し、牧口先生に弟子入りして代用教員となります。

やがて、働きながら開成中学夜間部に通うようになります。同級生には日達法主もいました。

22歳で旧制高等学校入学資格試験に合格して代用教員を退職、大学の学費を稼ぐために道玄坂で下駄の露天商を始めます。自ら夜なべして鼻緒を結んだそうです。

生命保険の外交員をやったときには、群を抜く成績で、大阪支店長への抜擢も持ち掛けられています。

23歳の時には、時習学館を開設します。これが、本格的な実業家人生のスタートでした。

25歳で中央大学予科に進学し、28歳で卒業。30歳で本科を中退しています。その間ももちろん時習学館の経営は続けており、「現役学生社長」だったのです。






このように戸田先生は、14歳からずっと働きながら勉強し、塾を経営しながら大学まで学ばれています。

牧口先生も池田先生も同様ですが、「働きながら学ぶ」という創価教育の原則を、まさに体現されてきたわけです。

社会に出て生活と格闘しているからこそ、生きた学問が身につきます。

そういった意味では、学会の学生部も、安易に奨学金や親の援助に頼るのではなく、可能な限り自力で授業料を稼いでこそ、創価の学生と言えるのではないでしょうか。

そのために卒業が何年か遅れたとしても、全く恥じることはありません。



それ以上に大切なのは、社会に出てからも、生涯学び続けることです。

いい大学を出たからと言って、そこで勉強を止めてしまえば、成長は止まり、時代から取り残されてしまいます。

逆に、学歴など無くても、学び続けることを忘れなければ、一流大卒のエリートを追い抜くことも可能です。

三代会長の苦学の青春こそ、青年たちの永遠の指針なのです。




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