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21世紀の日蓮仏法

念仏撲滅 禅撲滅 真言撲滅 カルト撲滅

戸田先生「罰は当たるのではなく出るもの」







方便品壽量品講義より

よく折伏に行って「罰を当てて見せる」なんて、さも自分が当てて見せるみたいにいう人がおりますが、そんなものではありません。

罰というのは出させるものではない、自然に出てくるものであります。




戸田城聖 人間革命「厳さん活躍」より

罰が当たるのではなく、罰が起こるのであり、罰が出るのだが、世間一般の人は、こういうと怒って、罰を当てるような信仰ならしないという。

牧口先生に折伏されて入信した学会の幹部でも、先生が罰論を厳しく説かれると、それを心から理解して、先生について行く者がいない。むしろ離れていこうとする者さえいる。

それを押えて離さないでいるのが、今のわたしの精一杯の仕事なんだ。





世間では罰というと、神仏が天から眺めていて悪人に罰を与えるようなイメージがありますが、これは罰と祟りを混同しています。

仏法における罰は、自分の生命から出るのです。いわば自分で自分を罰するのです。

罰が出るということは、「罰が出る宿業を持って生まれてきた」ということになります。つまり罰と宿業は同じなのです。

さらに言うなら、あなたが過去世から重い宿業を積んできたのは、全て、あなたを成仏から遠ざけようという久遠元初以来の魔の働きです。

諸難といっても、根本は第六天魔王の働きなのです。

従って罰を消すには、魔を破るしかありません。すなわちお題目です。

南無妙法蓮華経だけが、全ての罪を滅する力を持っているのです。



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